2023/05/16 |
HOME > エッセイ >

#tcbn_dfe / 本当に自分はたんぽぽの綿毛なのか

幼稚園の先生に、「(一つの場所でじっとしていないから)たんぽぽの綿毛ちゃん」と言われてもう四半世紀以上経つ。当時の私を表す表現としては言い得て妙だったらしく、いくつになっても母親からはその話を出されるのだが、自分は本当に「たんぽぽの綿毛」気質なのだろうか、と考えることが増えた。

このブログ、並びにドメインを「dandelion-fluff(たんぽぽの綿毛)」にしたのは言うまでもなくこれが由来なのだが(なんだかんだで気に入っているのだが)、これまでの人生を振り返るに大学時代は1つのサークルにしか所属していない(大好きな先輩たちがいなくなって以降は離脱した上、その後別の場所に入ることもしなかった)し、学生時代のアルバイトはディズニーランドでしかやったことがない(お土産屋さんのキャストを一度辞めたけど、結局別店舗で復帰した)し、今の職場は一応転職2回目にはなるが結局は顔なじみのいる場所をうろついているにすぎないのでディズニーランドのアルバイトをしていたころとやっていることは大差がない。

私が本当に「たんぽぽのわたげ」だったとしたら、大学時代のサークルなんか1年生の時点でいくつもいくつも顔を出していただろうし、アルバイトだっていろんな職を渡り歩いたことだろう。こんなに人見知りじゃなかったのでは?とも思う。

社会人になった今でこそ軽率に旅行に行くけれど、大学時代からその気質を発揮していてもおかしくなかったはずだが、大学時代に旅行した記憶なんてほぼない。

私は本当にたんぽぽの綿毛なんだろうか。人生のどこからが綿毛で、どこまでが綿毛じゃないんだろうか。確かに自由に生きたいし、自分以外の命を預かれるような度胸もない。右に行きたいと思ったらみんなが左を勧めてきても右に行く、そんな人生を送ると思う。

けれど、あくまでも面倒なことは自分ではやりたくないのだ。安定を欲したうえで好きに生きたいのだ。果たしてそれは本当にたんぽぽの綿毛なのか? それは綿毛とはちょっと違うのではないだろうか? 本当にたんぽぽの綿毛だったら、とっくにフリーランスとかになっているのでは?

今の自分は今までの自分の選択の積み重ねというのはわかっているけれど、私は「たんぽぽの綿毛」という単語に縛られすぎて来たのでは?と思い始めてしまった。今日も今日とて明日を不安に思いながら生きている。

頭の中のもやもやを書き出すのにブログはちょうどいい。これからもこんな感じで積み重ねていく。

folder CATEGORY:エッセイ