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[旅記]2024年夏の遠征大一番/福岡・大分・京都をゆく、じじいと坊主の修学旅行 Day.5(FINAL)
夏の大一番旅行の最終日は京都にて!
心伝を観たんだったら京都にも行かないとでしょ、と思っていたので船上から朝日を眺めて朝ご飯のビュッフェを食べたあとは多少の睡眠不足と戦いながら京都に向かいました。
*本旅記連載は2024年7月夏の大一番から関連記事を見ることができます。
目次
最初の予定
これが当初作ったマップです。この中から、当日「新撰組ゆかりの地を巡る」ことを念頭に置いて来訪したのは、「最後の洛中屋敷跡」「不動堂村屯所跡碑」「油小路の変跡(本光寺)」「西本願寺」「壬生寺」「八木邸」「金戒光明寺」「三条大橋」「池田屋跡」です。光縁寺とか京都御苑とか霊山博物館は時間の都合で断念しました。
なお、マップを作る際は、刀剣画報編集部発行の「刀剣聖地巡礼ガイド×『刀剣乱舞ONLINE』 京のかたな旅 御伴散歩版」を参考にしています。
時間の都合、というのも、新撰組ゆかりの地にプラスして伏見稲荷と太秦映画村にも行ってます。滞在12時間しかないわりによく動いたんじゃないかという結果に落ち着きました。
本当は高桐院にも行きたかったんですよ、開いてないけど。中津城や小倉城に行ったり織部灯篭を見たりしてきたので、開いてないのはわかっていながら門の前に行く、ってのだけでもやりたかったんです。本当はね。
でも、北野天満宮よりも北に位置してて移動に時間が取られてしまうのもあり、今回は高桐院に行くのは断念して太秦映画村に行くことを優先しました。行ったところで開いてないしね……。コロナ禍を受けての拝観休止なのである程度わかりはしますけど、流石にそろそろ拝観させていただけないでしょうか……高桐院さん……。
なんで映画村かと言えば、虚伝廻(刀ステのアニメ)のコラボイベントやってたからです。なんだかんだ言って舞台版の虚伝、出陣12振りに左文字三兄弟が含まれてるから、三日月や山姥切や織田の四振りまでは行かずともお小夜もグッズとかコラボメニューにラインナップされるんだもの……そりゃ集合しなきゃいけないじゃん……?(※そんなことはない)
8:20 伏見稲荷大社
新選組漬けの一日にしようと思いつつ、京都にいくときは伏見稲荷へのご挨拶は欠かせないので、コインロッカーにキャリーケースをぶち込んでからまずは奈良線で稲荷へ向かいました。
この日は一日動き回ることがわかりきっているので、体力の消耗は最小限にしなければなりません。新池手前の鳥居まで進んだら下山です。ひーこら言いながら四つ辻まで必死に登り切ってそこで食べるソフトクリームは本当に格別なんだけど、真夏にはできない……もう若くない……(あとこの日は時間もない)。
すっごい久しぶりに、御朱印帳に直書きで御朱印がいただけるようになっていたので(ちょっと前まで書置きのみの対応だった)、いただいてきました。
9:30 新選組最後の洛中屋敷跡/不動堂村屯所跡
伏見稲荷参拝を終えたら、いよいよ新選組ツアーのスターとです。まずは京都駅徒歩圏内のスポットからめぐります(※もちろんこの日もバス・地下鉄の一日乗車券は買ってます)。
「此付近」とありますが、洛中に構えていた新選組の屯所のうち、西本願寺から移ってきた次の場所であり、最後の屯所(※ただし、正確な位置はわかっていない)とのこと。
また、ここから徒歩圏内に油小路の変跡があります。伊東甲子太郎が殺されたとされる場所です。
10:20 西本願寺
油小路の変跡から壬生寺に行こうかと歩き始めましたが、早速予定を変更して西本願寺にも立ち寄りました。ここも新選組の屯所だったところ(壬生寺では手狭になってきたので移ってきたところ)です。
11:00 壬生寺・八木邸
壬生寺
西本願寺の次は、今度こそ壬生寺・八木邸に向かいます。旧前川邸もこの付近にあるのですが、一般層向けに開放しているのは土日祝のみだそうなので前を通過するにとどまりました。
京都には何度も何度も来ていたのに、壬生寺や八木邸に行くのは本当に久しぶりです。刀ステ心伝チームが大阪公演休演日にこのあたりに訪れていたこともあり、壬生寺の資料館入口付近には刀剣男士たちの絵馬が飾ってありました。
八木邸
八木邸の見学はガイドさんの説明を聞きながら行われるので、邸内に入れる時間が決まっています。見学の受付(支払い)は御菓子司「京都鶴屋」さんで行い、見学料には和菓子とお抹茶代も含まれます。
わたしが行ったタイミングでは次のガイドが始まるまで20分ほどあったのと、見学の後はすぐ次の場所に移動したかったので、先んじてお抹茶をいただきました(ちなみに、こちらのお店のなかにも心伝のポスターが貼ってありました)。
幕末のあの頃、京都で、この八木邸で何があったのかを伺うことができたり(どうやって新選組が発足していったのかとか、なんで八木邸を本拠地にしたのかとか)、芹沢鴨が殺された際に足を引っかけたという台(現物)を見たり、刀傷を見たりできます。写真は↑の幕がかかった入口のみOKです(八木邸、観光客向けに一部開放はされているけれど、見学ができるエリアより向こうでは八木家の皆様が普通に生活してらっしゃいます)。
15:44 黒谷さん(金戒光明寺)
八木邸の次は太秦映画村に向かいました。大したことしてないので写真は割愛。さて次はどこに行くかどう立ち回るかを考えます。タイムリミットも近いこのタイミングの選択肢としては「京都御苑」または「金戒光明寺」の2択でした。少し悩んで、光明寺に行くことにしました。
光明寺を選んだのは、ここまでに壬生寺、西本願寺、洛中最後の屋敷跡と新選組が屯所を構えた場所をめぐっていたからです。屯所だった場所をめぐってきたのだから、最後も屯所だった場所で〆ようと思った次第です。
16:55 三条大橋/池田屋跡
神社とかお寺さんとか博物館はもうこの時間には閉門、閉館してしまうので、光明寺の後は寄り道しながら京都駅に戻るだけです(残り3時間)。
近藤さんに思いをはせながら三条大橋を渡り(ゲームで言うところの六ー二)、池田屋跡の前で御供写真を撮り(前回きたときは孫六がまだ本丸にいなかったのでリベンジできてワーイの気持ち)、なんか歩いてたら近くまで行ったのでトラベラーズファクトリー京都に立ち寄ったりしました。
おわり
頑張って歩き回って19時過ぎに京都駅着。
ほんと申し訳ないですけど(?)夏の京都なんかマジで行くもんじゃないんで、12時間真夏の京都をうろちょろしてたらさすがの(?)わたしももうへろへろです。
京都駅前に設置してあったはずの虚伝廻のパネルのことなんかきれいさっぱり頭から消え去って、コインロッカーから荷物をピックアップした後は新幹線改札内で鯖寿司を買うことしかできませんでした(※車内で美味しくいただきました)。
とまぁそんな感じで夏の大一番の記録はおしまいです。船旅も福岡も大分も京都も全部全部楽しかったな~~~!
ちなみにですが、今回の移動距離(概算)はこんな感じです。
- 羽田→博多 880㎞(空路)
- 博多→小倉 60㎞(陸路)
- 小倉→大分 120㎞(陸路)※途中の中津に寄り道
- 別府→大阪 405㎞(水路)
- 大阪→京都 47㎞(陸路)
- 京都→東京 375㎞(陸路)※直線距離
数字に起こしてみると狂ってんなー!って感じですけど、楽しかったからそれでいいんです。でもやっぱり、刀剣乱舞というゲームが始まってなかったらこんな大移動はしなかったろうなと思うので、リリースしてくれて、そしてここまでのコンテンツになってくれて本当にありがとうの気持ちです。今や各自治体や博物館美術館、さらには歴史をも動かすビッグコンテンツですもんね。すごいわ。
ちょっとした新選組イヤーにしたいわたしの2024年はまだまだ続きますが、大一番の旅の記録はここまでです。次の旅が終わったら、あとは本当にもう函館に行くためにどうにかするだけだ……!(今年中にという無理はせずとも近いうちに絶対に行きたい気持ち)がんばります。いろいろと。
それではいずれもお達者で。
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